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理由のないつらさが理由を持って迫ってくる

理由のないつらさがある。
つらさが、不安や不明を何処かから見つけてきては、それを脳内todoの一番上に置いていく。

「めちゃ気になるけどこれは理由のないつらさが理由を持ってきただけだから無視だ」とはいえない。
まずもって、気になるけれども脳の深いところにしまっていたのであるから、気にならないわけがないのだ。
正確には無視だって言うことはできるけれども、無視したら無視したで数日後に不安が爆発する。

無視しつつも適度に発散してあげる必要があると感じた。
根っこは単にストレスなのだろう。けども発散しようとゲームなどに手を出すのも悩みからの逃避に思える。
逃避でもいいだろうと思うし比較的安全な解決法の一つであろう。しかし毎日逃避できるほどは暇ではない。
テスト前とはいえ暇目の生活をしているのだけど悩みをごまかすのに一日3時間から6時間ほど使う。眠れないこともある。
悩むことで唯一喜ばしいものであるところの、そしてモラトリアムのなかで一番助かる、精神安定に使えるはずの、暇という存在がなくなる。

悩まないと悩みは解決できない、などとは思っていない。
無視していれば忘れるのかもしれないが、その途中の強迫観念のような苦しみに耐えられず、日本語がわからなくなるなどの症状が出る。
脳の処理が落ちる。
悩みに対して悩みこまないと、そしてちゃんと理由がないことを暴いて「不安障害か何かだから気にすんな」と言い切らないと、
まともに講義が受けられない。


理屈をちゃんと考えて「ほら理屈終わったのにつらいままだからこれは理由のない不安だった」
ということはできる。

今日で言うと「あれ先月の24日から28日まで何を考えていたっけ」という思考で一杯になり、
漠然としているくせに、くされ脳みそが漠然とした回答は受け付けてくれないもんだからしっかりとEvernoteに書き残した。
それを繰り返すために暇を消費して睡眠時間が0になったり15になったりしているがまあそれですんでいるともいえるだろう。
今日は3くらいになる予定だ。

不意に弁

なんか2年間音沙汰なかった人から連絡があり、なんとなく電話するかってなって、
流れでここのブログを無理に読ませ、そのあと精神と理屈は分離できないとか、分離できないことで常に悩まざるをえないとか言った。
彼は一旦悩みを止めて楽になれよとまあ当然そうだろうってことを言ってくれたけども、
俺としてはは納得いかないまま止めることはできないようだということを言った。

悩みってのは必要だと思っていて、ただ質が本当に悪いなと思う。
答えの見えないような悩み方/悩みの内容でありながら十分にポジティブに生活していけるのだろうか。
答えがないけども動くときは動くぞと割り切ることで可能となりそうなのかそうでないのか。
俺は納得がないと動けないと自己認識しているけどもそれは理屈の納得なのか身体の納得なのか。
身体の納得の閾値とかをいじることができるのだろうか。いじることで幸せになれるならそれが一番正しいのだろうか。

もうちょっとマシな悩み方をすれば豊かになるのになと思う。そして悩みがないのはよくないなと思う。
彼としては悩まないのが最高といった感じなのでそこで齟齬があって、大幅にずれているのによく話を聞いてくれたが、
ただ結果としてドン引かれただけの朝っぱらの電話であった。いやDiscordであった。


ブログ上では悩みを治したいと書いていたのが齟齬の原因。
治したいのだけどそれはよりよい悩みにするべくであって、消したいとは思っていない。
だって適度に苦しい悩みほど楽しいものはない。
もしかしたら適度に悩んで健康的だということを悩んでないというのかもしれない。それなら俺がおかしかった。

無の悩み

無を悩んでいる。
漠然とした悩みがあって、その悩みが漠然としていて、悩んでいるという事実以外が無でしかないことに悩んでいる。
言い換えれば不安感を取り除く行為が不安すぎて悩み放題になっている。
不安はあるのだけど不安の出処は全く現世にない。不安の出処がないのも不安だ。
理屈ではこんな糞つまらないループしても仕方ないことはわかっているのだけど堰が切れてしまっている。
7日間の糞溜めを経てやっとこさ動けそうな感じがする。課題が溜まりに溜まってるし課題を認知する行為すらしていないのでたぶん状態は予想以上(以下)だろう。

関係ないことを書くけど今記事の上下に広告を載せてんだけどあまりに広告密度が高くなるといけないので記事をある程度長くしていきたい
関係ないことを書きました。

ともあれ今はこの不安というゲームの操作に慣れてない、なので説明書を読んでもできるかどうかわからないようなことをやっていくしかない。
現状信用できるのは説明書だけだ。説明書はだって開発者が書いてるんだから感覚がいくら拒否してもある程度信用してやってもいいだろう。
説明書には「おまえは さっさとうごかないから そんなにきついんだよ」と書いてある。
それをとにかくゲロを吐きながらでも飲み込もうと頑張っている今の俺。

べつに全部が全部不安なわけではないけれども、わかったようなわかってないような程度にしかわかることができない。
そして9割わかっててもわかっていない部分を圧倒的注視して圧倒的不安に持ち込む黄金コンボを食らってしまっている。
思考停止で行動できるほど行動に対して信用が構築できてない。もっと思考停止で行動したい。
だからといって今無理やり突っ込むのはやはり怖い。これはわがままである。
いくら身体のいろいろな感覚がわがままを欲していたとしてもわがままだから、わがままをどうにかする。しないと。