ごじゅさ

強迫性障害

不安への思考記録2 – wanoh
思考の意味のわからなさオブザイヤーっぽい。
↑からタグの#不安を無視して動け論をみるとわかるかもしれないし、わからないかもしれない。
俺はわからない。

「不安を無視して動くべきだ」と思っている。何も問題ない。
強迫思考の内容は、「この理屈自体についての不安も無視するべきなのだろうか、それはちょっとまずいのでは」みたいな。
強迫思考以外のすべての脳内は「別にいいだろ」と考えていたけど、”ちゃんと”説明できなかった。

強迫思考のあいだは、「だいたい大丈夫だろ」とか「あとにしよう」とかが正当な行為に思えない。
その場で絶対考えないといけないしそうしないと死ぬ、と本気で思い込んでいる。
そしてものすごくリスクを怖がる。
「不安を無視して動くべきだ」ってのは経験則であり、90パーは合っている。50パー以上合っていれば、「とりあえず採用しつつ動きながら方向修正」でいいと思う。
なのだけど今回の強迫思考では、「理屈それ自体にも理屈を適用したらなにかだめなのでは」と思いこんでいた。
その時は言葉にならない不安感があり、それに理屈サイドが「大丈夫だから」と説得をし続けるような時間ばかりが過ぎた。

「なにか怖い」だけならそれこそ無視するべきなのだけど、強迫観念が本当に強いとそれにも気づけない。
「不安を無視して動く」に対しての不安を無視して何が悪いのだろうか。
俺は動くことへの拒否感を抑えたいのだから、むしろ一番無視するべきタイプの不安かもしれないのに。

大丈夫だと思うには根拠が必要だが、不安に思うのはいくらでもノーコストで可能なんだよな。
だから思考は終わらせようとしないと終わらない。「思考を打ち切って冷静になる」とかが必要になる。

俺はうまいこと時間を置いたりして冷静にならないといけないのだけど、今回はそれができず、土日だけで20時間ほど思考を強迫観念に持っていかれた。
つまり何もできないしまったく休まらなかった、、、。

この「急に正気に戻って、何を悩んでるのかもわからないけど今は悩んでない」みたいな、
喜んでいいような泣きたいような気持ちが一番気持ちが悪い。
このまま動き出すにはあまりにも疲弊しているのに、それが最善なんだよな。