ねんまつ

毎年年末があるんだなあ。

強迫性障害(たぶん)は、主にストレスによって出ていた。
いろいろを諦めたことで今は生活上のストレスを減らした。それでも強迫観念は出るのだけど、追加ストレスがないから耐えきれる。

一旦疲れ切ってしまっているから、生活を維持しつつ改善していくことは不可能だ。
ようは改善できるってのは正のループでしか起こり得ない。そして俺は負なのだから。


いまは状況を改善するというより、改善する前提となる体力を得る。それだけしか方法がない。
あまりうまいこと書けないが、書くよりも、ただひたすら寝続けたほうがまだましだというのは実感としてある。
俺も自分がここまで疲れ切っているとは思いもしなかったが、一旦糸が切れてしまえば「無理」「だめ」「ごめんなさい」としか発話できなくなった。


そもそも数年来の「動ける構造ではない」というところがあった。
それなりに動いてそれなりに休むという社会の構造についていけなかった。
動けなさは精神を疲れさせ、休めなさになる。で、休めてないから動けない。

一旦社会から離れていちから成功体験を積まないといけない。
現状、なにかをしようとすると、理屈じゃない不安感がものすごく出る。
「理屈じゃないから無視する」というやり方は合ってたけど、遂行する体力がない…ということに気づくだけで1年潰した。

不安障害ってのは、あまりにも理屈じゃない不安感ってのが出るもんで、
(それこそ理屈じゃないという前提認識を越えて理屈だと思ってしまうくらい)、
さすがに明確な原因があるだろうという発想をしてしまうことで起こっていた。
「おれは何かを悩んでいる」という強迫観念。

で、今は精神が論理的に破綻したりはしていないものの、不安感じたいは残っている。

精神病に対して無理を通すことによる改善はないと痛感。
あくまで相当な余裕を持って、気分が根拠なくポジティブになった上で、
そのポジティブでかさ増しされた体力を使って、負荷のかかる行動をやるべき。

「無理を通す」っていう感覚を持っている時点でそれこそ無理だと思った。
そういう「100回やって1回成功すればいい」「当たって砕けろ」っていう発想自体、
失敗がトラウマとしてカウントされない程度に精神に余裕がある人がやるもんだ。
全体を通してみれば成功しているから部分の失敗を気にしないで済んでいる。
そういう人にとってはトライアンドエラーは正しい。俺だってそれが理想のひとつだ。

だけどいまの精神、トラウマが肥大化しすぎてPTSD的になっている。
「正常な」エラーにたどり着くことができない。糧にならない。
意味不明につらく、つらいとはいえ物理的に可能なことができず、…
「物理的に可能」ってのもおかしな話だ。どこまでを指しているのか。物理的に成功したと同時に精神が壊れてもOKなのか。
そういう感覚を持つ時点でやはり根本がおかしい。


いま、悩んでるのかどうかと問われれば、疲れているだけだと答える。
ただし完全に徹底して1から10まで疲れ切っている。
疲れをおして何かしようとするたびに負の学習を続けてしまった。学習性無力感とかいうやつかも。