対強迫性障害#3

ここ1週間位はだいたいいつでも無理をすれば動ける。
ただし、なんでここまで回復できたかといわれると明確ではなく、たとえば「十分に理屈が固まった効果が2ヶ月遅れで反映された」とかになる。
これ以上考えるとあまりにも危険だ。”だいたい”で止めとかないといけない。

“だいたい”は大事だ。詳細を詰めようとする行為は曖昧な記憶に触れることに繋がる。
その曖昧さを媒介にして発生する強迫観念を増やしたくない。
しかし”だいたい”のままでは不安が強すぎて動けなくなるというジレンマ。
“だいたい”で問題なく動きつづけるための成功体験をつんでいく必要がある。

1週間前くらいに一回思考が爆発してしまった。
精神はそのあとだんだん持ち直して、過去最高と言ってもいいくらいまできた。
だからこそ、精神の調子の良さに体を預ける。振り返る行為を減らしていく。

「1週間前に何があったか」はだいたいで覚えているけど、詮索はしない。
どうして良くなったかも、「まあ泣きわめいた後にぐっすり寝たからじゃないの?」くらいにしておく。
本当に明確な理由があるなら忘れないし、忘れていても、別にいま問題が起こるわけではない。
強迫観念につながらないと自信を持っていい切れるのなら、そういう無為な思考を進めていいだろうけど、今はダメだ。


常に最適化をして無理をすれば動けるのだろうけど、一瞬でもこういう考え事をしては体力が尽きてしまうということでもある。
少しでもミスればジリ貧だし、ジリ貧の中でモチベを維持することがつらくなっている。
今やれるだけのことをやればという物理上・理論上の話はあるけども、俺は最大値を出さない限り失敗するという現実は変わっていない。

いま、強烈な不安は出ていないのだけど、その分というか普通にキツい。
明確に「これは障害によるものだ」というものではなくて、障害を止めようとして寝たりすると時間が足らず、そのくせ体力も回復してくれない。
だけどそこで動けないかというと理論値では動ける、でも無理にしか思えない。

悪くいえば甘えているのだけど、学校のタスクをこなしつつ精神をなんとか維持するのは厳しいと思った。
どっちかしか確保できないとするなら俺はどうすればいいんだろう。
実際一日に1時間30分ほどやるだけで課題は間に合うはずなのだけど、その1時間30分が非常に遠い。
一日は「悩んでないけど強迫観念が精神の最前面にあってつらい」と「悩んでないしつらくないけど身体が疲れていて、過去からのトラウマは普通にある」という繰り返しで終わる。

正直休ませてほしい。今月末まですら、頑張れる気がしない。
毎日毎日ジリ貧になって、解決は物理的には一応不可能じゃない分だけ余計につらいし、
大してつらくない部分では俺元来のトラウマとかいろいろの発作が出てしまってやはり理想通りにいかない。

ジリ貧の中でこそ最善を尽くせと人は言うのだろう。無理だ。
絶望感がいよいよ思考からとれなくなってきた。なにもできなくなってきた。
これまでは動きたいのだけど思考がバグっていたわけだが、もう明確に思考自体が意識的に無理だと表明している。
意味不明な不安から解放されたぶん、取り返しのつかない体力の終わりっぷりや疲労が目につく。

どうすりゃいいかわからないし、何かをすることはいい加減無理だとしか思えない。
物理的には100%を出せばいけるということと、99.9%ではだめだということを同時に認識している。
そしてこれまで、精神が終わってからというもの、俺は20%とかしか出せた例がない。

いいかげん終わりつつある。どうしても俺はもはや活動を縮小するしかない。