不意に弁

なんか2年間音沙汰なかった人から連絡があり、なんとなく電話するかってなって、
流れでここのブログを無理に読ませ、そのあと精神と理屈は分離できないとか、分離できないことで常に悩まざるをえないとか言った。
彼は一旦悩みを止めて楽になれよとまあ当然そうだろうってことを言ってくれたけども、
俺としてはは納得いかないまま止めることはできないようだということを言った。

悩みってのは必要だと思っていて、ただ質が本当に悪いなと思う。
答えの見えないような悩み方/悩みの内容でありながら十分にポジティブに生活していけるのだろうか。
答えがないけども動くときは動くぞと割り切ることで可能となりそうなのかそうでないのか。
俺は納得がないと動けないと自己認識しているけどもそれは理屈の納得なのか身体の納得なのか。
身体の納得の閾値とかをいじることができるのだろうか。いじることで幸せになれるならそれが一番正しいのだろうか。

もうちょっとマシな悩み方をすれば豊かになるのになと思う。そして悩みがないのはよくないなと思う。
彼としては悩まないのが最高といった感じなのでそこで齟齬があって、大幅にずれているのによく話を聞いてくれたが、
ただ結果としてドン引かれただけの朝っぱらの電話であった。いやDiscordであった。


ブログ上では悩みを治したいと書いていたのが齟齬の原因。
治したいのだけどそれはよりよい悩みにするべくであって、消したいとは思っていない。
だって適度に苦しい悩みほど楽しいものはない。
もしかしたら適度に悩んで健康的だということを悩んでないというのかもしれない。それなら俺がおかしかった。


作業通話用のDiscordあります。