行動2016/10/02

行動することに対しての意欲が出せないと行動ができないので緩やかに劣化していく。

人との大きな差に思えるのは、「モチベーションがない」ときのモチベーションのデフォの値
それは行動したからうまくいったという経験から立ち返って得られる恒常的なモチベーション。
そこんところが欲しい。

欲望がデカくて深いので、行動力の部分で人並み以下ではだめで、人並みでもだめ。
今日は5日間保温され続けた飯を捨てて新しく炊いたし、麦茶も入れたし、洗濯機を回して、それを待ちながら買い物に行くという効率的テクノロジー行為をおこなったよ。
じゃあそれらの行動で、俺が行動の前に思っていたほどのつらさがあるかというと、なかった。
それが普通。終わってみれば…という体験を重ねるのが普通。とりあえず全部放置したぜ!ってのは普通ではない。

俺は物事をすべてマイナス面だけ見ていたため行為のあとの達成感を知らない。
その達成感を日常的に得られて、達成感を予期さえできるようになれば、まさに「達成するまでは何も得られない」行為へのモチベーションが持てる。
それがほしい。それがないと物事のすべてはつらさの塊にしか見えないし、それで鬱に入ったり抜けたりしていた。

最初は無理を通すほかない。無理を通すにはモチベじゃなくて気力を消費するのでいやになったことがおおかったけれど、
それでも無理を通すのは、無のまま死にたかないよなって欲深な気持ちで、欲深でなかったらあぶなかったなあ。

鬱が治り次第復帰できるような人って、モチベーションの値がいつもは正だったのが鬱で負になってただけで(もちろん大変だが)、
俺はそもそも鬱があろうがなかろうがデフォの経験由来モチベがなかったわけ。
鬱から抜けたぞ、さあ!!ってときにまずは気力を消費しまくる必要があるから倍ほど大変だ。ただ、そのへん1面で詰まないようにできていて、気力は基本的にペイできるようだ。気力がペイできないと思っていたから新鮮だった。

一つハードルだったのは身体レベルではまるで納得できない行為を繰り返すことになるので無理を通す前に甘えが出る。
もう一つは気力が合っても体力がないときが何度もあった。昨日もそうだった。
ただ実体験としてのつらさは行動しないつらさと比較したらだいぶマシなので。
実体験による変化の部分を全部マイナスにしか見られないときは、気力の具合によってはどうしても動くか動かないかの選択のとこで止まりがちだった。
それをだんだん取りあえず動くかって方向に変えていくわけ。

今日はまあまあいい感じだ。
行動によって自己肯定感というものが確かに得られる。現実には得られてなくてもこう書くことによって数日の無理を通すネタにする。
錯覚の部分でもいいから実際何も生んでいない状態を越えるためのネタをたくさん仕入れて無理を通すぞ。

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