地団駄

人がブログ作るのをそそのかしたりしてたら自分も行動を増やさないとイカンと感じた。
ブログも書いていきたいが精神が死んでいるときは昔の焼きましの思考ばかりなので書くこともない。
行動がないときの無為は一度として耐えられたことがない。行動で埋めればいい。行動をしたなあというそのあとのひと休憩は無為感がないし。

肌感覚としては行動しようがしまいがどうでもいいって感じになってしまっている。
鬱サイドのときの肌感覚なのだから信用できやしない。しかしほかに信用できる感覚がなく(行動ベースで生きた試しがないため)、すぐに戻ってきてしまうようだ。
自分で建造した理屈をも全部ムダにしているような気分でもほかに立つための陸地がない。
全部錯覚なような気がするし十中八九そうだし、それなら無理をちょっと通せば人生変わるかもね。一方錯覚だろうと一度確認するくらいのことはしておきたい。

ブログのネタのためにも精神のためにも手を出す範囲を広げて、手を出す回数も増やそうじゃあないか。
こういう意思表示は結果から遡って評価され、意思表示の質は評価されない。評価ってのは自己分析も含む。
ただ地団駄を踏むような意味の希薄な記事になっているのだ。だからいまタイトルに書いた。適当に頑張ろう。