基本は行動

基本は行動だ。

インターネッツって行動派の人には優しいと思う。そして行動がない人の時間を奪うと思う。
まだまだネット自体が若く、人生狂った人も80歳とかではなくなんだかんだ若いのだが、
ネット楽しいなーってやってるだけで、自分の成果がないまま(時間をネットに奪われたという確信を持って)死ぬ人が今後出てくると思う。
人の成果を見るだけで死んでいいならいいんだけど。

ネットで成果物を発表できてそれで楽しかったりタメになるのなら、むしろネットサーフィンの時間は減って健全になる。
ネットが発表のための場なら、ネットのためにネット外で頑張れるのならこんなに健全なことはない。
一方自分自身が何もしない場合、「テレビ見てるよりはマシだろ」といいつつも雑談にしか役立たないウンチクだけが増えていく…ように思う。
テレビ見てるよりはという理屈が言い訳として最適で(確かに目的のないネットサーフィンも稀に役に立つ)、
そんで「何かしている気になってしまうので」、本当に何かしている人と差が開いていく。
ネットの特徴として短時間で超濃密に情報収集ができるが、その効率的な活用とツイッターだらだらを同一視してはいけない。

いやツイッターは楽しいし、だらだらして癒やされるけど、
ああいう無限に流れてくるツールを「行動の前に」見てしまうと行動に悪影響だと思う。
何かしないと落ち着かないという気持ちをアレに突っ込んじゃうと、それなりに楽しく、
それなりに楽しいがゆえに他のいろいろなことを犠牲にしてしまう。
ちょっと頭の片隅に「行動してる感」が得られてしまうのがだめ。
確かに長時間のツイッターもたまに役には立つが、その度合はどうなの?って話。

(ここからネット関係なし)

度合いを判断できなきゃ人間じゃなくて動物だと思う。
度合いを考えて、一番いい方に体を動かすのが意志の力だと思う。意志が弱いと目の前の布団に負けたりする。
確かに動物は大抵の場合布団に入っとくほうが正解なのだ。動物の正解・直感の正解を、理屈で捻り潰すのが意志というものだ。
そうしてみると、意志を通せたらどんなに気持ちが良いことか。俺はどれだけ気持ちの悪い思いをしてきたことか。
無自覚の社畜とかは気持ちよさが変に作用しすぎた結果だろうからちょっと気をつけるとしても。

問題は、意思を通す気持ちよさはいっぺん通さないことには分からないから、一見動物的見方では意味がない作業にみえてしまう。
その「直感的には理屈がおかしいまたは理屈じゃない行為」を、「いや合ってるから」といっていっぺん通すだけ。それが意志。
「身体が嫌がるけど理屈合ってるっぽいんだから仕方ないだろ」って行為が俺は苦手で、
苦手を治すためにはまさにそのものの行為をやればいいと分かっているし、分かっているだけにつらい。ばかじゃねーの?
叩けば直るテレビを叩くのを何ヶ月もビビっているようなしょーもなさがある。確かに手がちょっと痛いかもしれんが直ったらペイじゃんと。

俺のことを言っている。