釈明(?)

思考回路

前の記事では、

全体がいい流れの中で今は挫折する人。全体がクソで今はちょっとだけ調子づいている人。
前者を俺に当てはめないでくれ。いっぺん1日や2日の挫折じゃなく全体がクソになるまで落ちてみてから同じことを言ってくれ。

とかなんとか言っていたが、俺は知りもせずに上から目線でごちゃごちゃ言ってくるクソがクソめんどくさいだけであって、底辺から怨念をぶつけるだけの存在に甘んじているのではないこと、
どこまでいっても俺は前向きでいられてはいるぞ、ということ、を書きたい。でも書きようが見つからない(笑)。

諦めの文章はまだ書いたことがない…と記憶している。
諦めそうでつらいというところで踏ん張っている。
今日一睡もできずに内容がない講義に出て目は開いているけど何にもピントが合わないまま考えていて、自分は結局何をどうしたいんだろうと。

何をどうすることもできない程度の能力だ。いまや生存するだけだ。なんかしたい。
いつからなのか考えたことを全部頓挫させるような性質になってしまったので、自分を押し通せるように改造したい。
中学生んときに毎日目標立てていたがどんどん目標が低くなり(5分勉強するとか)、それに合わせてわざとかと感じるほど失敗を重ねた。
目標はどんだけ下げても失敗するものと身体が学んでしまっている。

注射が怖くて泣く子供だった。直角滑り台を目の前にして号泣した。読書感想文を書き始めるのが怖かった。
実際にやってしまえばするするとうまくいった。その経験はあるはずなのに、なんだか何にでも二の足を踏むのが癖になっている。どうしてそっちが癖になってしまったんだ。ドハマリしている。

諦め

毎度すべて台無しになる目標をそれでも立て続けたので諦めは悪かった。
諦めだけは悪かった。
いいかたが変だがそろそろ成功させてやりたいと思う。
中学以降どんどん鬱屈していたのがV字回復を見せている今、これでも過去最高のメンタルだが前の記事みたいなのを書いてしまう。
俺は中1か中2のときに、落ちこぼれる手前のてっぺんのノリノリの調子のときに、やはりノリノリで目標をつぶしまくった。目標が守れたという経験は未だ人生のどこにもない。
夏休みの課題が7月中に終わってすっきりとかそういう経験もない。計画書は毎回毎回書いていたが。

前の記事みたいなつらさを俺はたかが
□起きる
□帰ってくる
□課題確認
□2時間勉強
□ギター基礎練15分
□寝る
とかのレベルの日課をこなそうとして、こんな、こんなにもつらいし、何年もチェックが全部埋まったことがない

適当にすまそうぜという気持ちはなく、ただ手が動かない
あまりにも俺の中で目標というものは失敗に終わるものであり、終わらせたらいいことあるよというのは全部嘘だと思っているしそもそも終わらないものだろうと思っている(身体レベルでは)。

何がひどいって上のチェック欄でいう勉強だけじゃなくギターのところも大抵失敗するのだ。
そのひ書いていないときはギターを適度に練習する。じゃあ習慣化しようやとメモっておくと失敗する。
ゲームを1時間やろうと書いたらゲームも失敗する気がする。さすがにないか
そのくらい呪われている気分でずっと過ごしてきた。もはや目標を破るのがうまいといったほうが正しい。
ものごとをリスト化しないと落ち着かないのに、リスト化したら謎の怖さがありどんどん失敗する。

要はトラウマなのである。そしてトラウマにおびえてさらに同じトラウマを積み重ねている。
でも一度でも目標立てたのを成功させたい。その一度がないからまだ身体は成功というものを知らないしトラウマに対抗できるということを知らない。

結局のところこんな長文はいらないわけだ。とりあえず行動することを覚えてさえいれば。
そしてそのとりあえず行動するぞというところのとりあえずをヤットコサ可能にしつつあるのが最近の(6月に入ってからの)俺で、しかし5月に一度ぶっ倒れてしまって授業が一部よくないことになっているためにやはり今もつらい。出席というものはつらい。無理をする練習をしているのだからやはり無理がかさんでしまった。

今の調子で後期を迎えればしっかり生活ができると思うので、ヤットコサをしっかり身につけていきたい。
そして今は輝かしい未来と裏腹にゲロ吐きながら睡眠障害の生活を8月まで繰り返すのだ。ああつらくて成長があるなあ。