0308

何かするべき時に何もしていないことが嫌いだ。だけどこのざま。
ネットという存在は何かしているようで何もしていない時間を多く与えてくるので、それに毒された部分はもちろんあるだろう。
どんどん意識は肥大化し、「あとは行動だけ伴えば」という状態と期待感も膨れ上がる。
一方でネットウォッチャーでしかなかった俺は、実在の俺自体は、どんどん暇つぶしを超えうる自発的行動がなくなっていった。
見ようによっては自分にイライラするだけマシにも見えるが、その自分にイライラする状態を維持することはまったくエラくない。
さっさと突破しろという話であり、そこでバイタリティや理屈外の気力が試されるんだろう。
ハードルをこえれば「大変だったね」とは言われるだろうが、行動力が今ないんだって言っても「大変だね」じゃなくて「てめえ屑だね」だよ。

そして人間には慣れってシステムがあり、最初が一番つらい。最初だけは無理をする必要がある。
最初にびびっているやつはどんどん多方面の最初のハードルを諦め続ける。
「それも全部わかってるけど最初を跳べない」ってやつは確かに多くて、すげえもったいないなと思う。自分にも。
なんで理屈でわかってるのに跳べないって、そりゃ経験がないからだ。中学までは成績よかったやつってこれでしょ。ギクッ
「最初だけは無理をするべきであることを身体の経験として理解する」必要がある。脳内麻薬を出す経験をする。
子供の頃に泣きながら無理やりやるべきだった経験をいま積む必要がある。泣きながら。

などと考えながら今年度まあまあ頑張ったために妥協案のようなものを紹介してもらえた。ありがたく受け取る。
まあまあといっても過去5年ほどでは最高に必死になったし、妥協案と言っても成果からすれば適格なもの。
やっとドクズからただのクズ(人権あり)あたりまで戻ってきたような。次は自分自身が満足するだけのことをしたい。

「何だかんだでうまくいく奴」に嫉妬してきたけど、妥協案を提示される、選べる状態にあるってのはまさにそういう奴じゃないか、なんだ俺はそういう奴になったのか
理屈をいくら練っても行動がゼロじゃ「何だかんだ」は貰えないんだろうな。俺ずっとそんなんだったから全部取りこぼしてたし、悩みに行動(力)を吸い取られた時点でほぼミイラ化してたんだ。
もちろん行動無理だときっぱり言えるような鬱状態の人には動くなと言いたい、これは変わらないが、鬱が明けて後遺症じみた行動力欠如と気持ちとのギャップが残ったら、これは気力の問題だなと改めて感じた。
とても難しい問題だが、「いちど理屈を無視して無理やりやると理屈がついてくる」問題だなと思うし、それを分かっていても無理やりやることがまた難しい。
つまり、ちょこちょこつまずいても全体としてうまくいっている人は行動力が侵されていない。行動力が強固だ。うらやましい。
過激な根性論は俺も嫌いだが、根性ゼロのやつには根性出せとしか言えないのはわかるだろう。ずっと自分に言い続けた。
俺もまだまだ自分をガンガン無駄にしながら過ごしている感じがある。今日もあんまりよくはないが、やっぱりひとつ評価されたことでずいぶんハードルが下がった気がする。
ひとつ清算できたのは気力を振り絞ったための必然だと思いたい。