結局楽しくしたいんだよ

俺は半端者もしくはクズでずっと通ってきた。20歳を前にして、ここらでひとつ特徴といえる特徴がほしい。こつこつでも逆転ホームランでもいいから頑張りたい。しかしそれ以上に、まずは調子よく過ごしたい

頑張る力が足りない。それは俺が中学の頃からずっと思っていて、思えば思うほどに改善ができない。精神も万全じゃないことはもちろん、身体もあまりよくない。
仮に精神が完璧超人でも労働が数年も保たない自信がある。もし今の体の不調が全てストレス性なら、精神が変われば調子を取り戻せるだろうが…。

ストレス性でもなんでもいいけど頭痛自体を抑えたい。頭痛なければなんとかなるから。

頑張るって

世の人の「頑張る」の基準が怖い。「死ぬ気でやってみろよ」という言葉と、「過労死」という言葉が同時に流れる国。
俺が今食らっている頭痛は不快感から苦痛へと進化し、くもり時々大雨。無理して学校に言ってた頃はもっとひどかったが。
もしこの程度のきつさが当然なら俺は社会のどこでもやっていけない。

変わるためには決心と行動が必要だけども、その行動ができないことにかんして悩んでいる。
最近思うのは、俺は苦痛を伴う行動にあまりにも慣れていないんじゃないのか。いまの頭痛とは別として、中学の頃に突破すべき苦痛や、よろこぶべき成功体験とかをすべてすりぬけて生きのびてしまったのではないか。

身体が怖がる

俺は成功体験がない。夢見がちではあるけどそれが実現につながらない。現実的にモチベーションを維持できる程度に自分に期待できない。それは俺が、じゃなくて、俺の身体が。
身体が怖がっている。理屈じゃない。身体は理屈じゃなくて結果や経験で判断する。どんどん心と体の剥離が進む。
ときたま、俺は成功しっこないんじゃないかって考えがよぎる。それは自分を裏切るたびに身体が考えているような気がしてならない。

リターンが期待できないならリスクを怖がるどころか試行の場にも立たなくなる。まだ精神の方はそこまで思いつめていないから必死になるが空回りだ。そして空回りはまた身体のよからぬ経験として蓄積される。

どうすればいいのかわからない。だからまず安静にしていても出てしまう症状を治したい。
それが治って、それで俺がまたクズのままなら、治しにに出かけよう。逃げ場はないけど楽しくやりたい。
それでもだめならまた今より追い詰められてか達観してか、考えることがあるだろう。