入院2日目-2

フクザツな気分だ。手術が終わってもおれは大して変わらないどころか余計に追い詰められるのかもしれない。

それは手術が失敗して余計に頭が痛くなったら…ではなくて、手術が成功して、その後で俺が勝手に追い詰められる方向に進んでしまうのだ。
だいたい、頭痛なんてもんは目に見えないから同情されにくい。それで自分でも本当に頭痛なのか、頭痛を偽っているのか、自信がなくなってくる。

自分に誓って正直者だと自分に賭けている。信用している。もしぜんぶ自分についた嘘だったら。

今回の手術で何かが変わるのか、変わらないのか、五分である。変わらなかったら頭痛はほとんどストレス性に集約される。

ストレス性ってのもまた同情されにくいし、自分でも仕方ないかなんて簡単に思えない。
もちろんメンタルや、メンタルが物理的にしみだした脳の性能差も体の一部だとわかっている。俺の性格のせい100%だと言われるほどではない。けれど物理的に障害があるのとメンタル弱いですっていうのと、どっちが気が楽か。…

自分で書いていることをまとめると漠然とした不安。手術が失敗したらなんて不安はない。手術が成功して頭痛が原因不明ないしストレス性に確定するのが怖い。
逃げ場がなくなるのを恐れている。もちろん逃げてないつもりだが、だからこそ最後の逃げ場がほしい。

結局おれは動きたいはずだ。動きたいとウズウズしている。何も変わらなかったら、そのときは行動力をあげてあげて、ストレスが取っ払えるくらい大成功しなきゃな。
ここまで未確定の不安ばかり書いてきたがもちろん手術には期待している。だけど俺が努力できるのは手術ではない。

頭痛が取れないなら頭痛を持ちながらも頑張っている人の後に続くしかない。夜中に白昼夢を見るように意識がもうろうとするていどの頭痛を持っていても頑張っている人は頑張っている。
俺が上で不安がっているのは、結局頭痛のせいでぶっ壊されることが怖い。おそろしい。治ってほしい。理屈の前に感情であって、つぎにこれまでに無駄にした数年ともしかしたら無駄にするかもしれない数十年を思って漠然と不安がっている。

理想は俺の頭痛の原因がカンペキに分かって、今回の手術で改善、俺は中学生までそうだったように強力な集中力をふたたび持って頑張れたら。

やはり暇

ところで検査の予定がなかなか入らなかったりして、今日も明日(入院3日め)も暇である。ひまだ。

ひまだからおれは行動力を養うために勉強をがりがりやっている。紙の勉強はあまりもたないのでプログラミング的なやつも。
CentOSのプリインのPythonを3にしたらyumも死んでさあ大変とかやっていた。バックアップというか元の2系のPythonをリネームして取っておいたので復元。