しゃべり

しゃべりってのが表現の根っこかなと思う。
いまラジオを某所で漁って聴いておるからこう考えているんだけどね。80年あたりのしゃべりは平成生まれからするとちょい文学というか、今は消えた言い回しがよい。
80年のラジオに相談の電話をかける15歳はいま40歳なのでありまして。親世代だ。

平成生まれなのでなんとなく昭和のテレビは白黒だしラジオもなんとなく白黒である。そんなことないのに。
俺もアナログ放送からデジタルへ移り変わりは経験した。だけど既に視聴に耐えまくる画質があるのに今生まれた奴らは画質によるノスタルジーを感じられるのだろうか。
ああそうか、Youtubeが諦めない限り昔の映像は残るか。

画質の話はどうでもいいが、ラジオっていいね。だれも録音できてないと闇の中ってのがせつないながらもよい。
ネットラジオも積極的にアーカイブ出すのと断片的な非公式アーカイブだけってのはせつなさが違うね。

しゃべりで評価されてえなあ。
ミュージシャンのラジオがぶっ飛んでて面白いみたいなやつ、2015年時点で電気グルーヴとかあのへんのレベルでリスナー参加できるようなおふざけができるかなあ。

深夜ラジオは冬の布団の中で聴いてたからそのイメージが強い。日本屈指の何もなさをほこる佐賀はラジオがたいへん少ないので、唯一つながるニッポン放送系列を聴いていた。
ああ冬が恋しい。布団でネットでアーカイブ視聴はあまりにも雰囲気に欠ける。ネットラジオもコンテンツ的には面白かったりするけど媒体に制限がかかる。
あっネットラジオであるとかラジコであっても安物のちびのスピーカーで聴けばラジオっぽくなるな。めんどくせ。

なんというか80sのラジオはバブルを感じる。繁華街だね。今のラジオは場末だね。
そして電話にしろ手紙にしろ「~だね」とか「~なの」「~なのよ」とかが多いのね。露骨
あとは今も昔も投稿の関東地区率が高いね。どうしてもなにがあっても、メディアというものは基本関東でありまして、俺は毎日のように関東進出を夢見るばかりなんです。
夢見るばかりにならないようにラジオ聴いて勉強してたまにこういう情報網に乗せてインタアネットブログとして放流するわけ。

追記

結局おれは都内貧乏不真面目大学生というやつに憧れてんだな。そんで下町みたいなところをぶらぶらしたい。かなしいいなああ。そんで飲んだりしたい。かなしいなあ
あああいああ。
気のおけない友人がほしい。いまはどうかな。いまの大学でそういうあいてつくれるもんなのかなあ。
ばかを言い合いたい。ばかなまま過ごしたい。どっちにも振りきれない。青春コンプレックスを表に出すと青春ますますできそうにないのか。しかしこれもまた考えたことを考えたまま書いている。